2014年4月10日木曜日

第二章 第一の精霊:その三

第二章 第一の精霊:その三

「これは驚いた!」と、スクルージは自分の周囲を見渡して、両
手を固く握り合せながら言った。
「私はここで生れたんだ。子供の頃にはここで育ったんだ!」

 精霊は穏かにスクルージを見つめていた。
 精霊がスクルージの胸に優しく触ったのは、軽くてほんの瞬間
的なものだったが、彼の感覚にはいまだに残っているように思わ
れた。
 スクルージは、空中に漂っているさまざまな香りに気がついた。
そして、その香りの一つ一つが、長い長い間、忘れられていたさ
まざまな考えや希望や喜びや心配と結びついていた。

「あんたの唇は震えているね」と、精霊は言った。
「それにあんたの頬の上のそれはなんだい?」

 スクルージは、がらにもなく声をつまらせながら「これはニキ
ビです」と、つぶやいた。そして「どこへでも連れて行って下さ
い」と、精霊に頼んだ。

「あんた、この道を覚えているかい?」と、精霊は聞いた。

「覚えていますとも!」と、スクルージは勢い込んで叫んだ。
「目隠をしていても歩けますよ」

「こんなに長い年月それを忘れていたというのは、どうも不思議
だね!」と、精霊は言った。
「さあ行こう」

 精霊とスクルージは、懐かしい道を歩いて行った。
 スクルージには、目に映る門も柱も木もいちいち見覚えがあっ
た。
 こうして歩いて行くうちに、はるか彼方に橋や教会や曲りくねっ
た河などのある小さな田舎町が見えてきた。
 ちょうど二、三頭の毛むくじゃらの小馬が、その背に男の子達
を乗せて、こちらの方へ駆けて来るのが見えた。
 その子供達は、農民が操作する田舎馬車や荷馬車に乗っかって
いる他の子供達に声をかけていた。
 これらの子供達は皆、上機嫌で、たがいにキャッキャッと声を
立てて騒いでいた。それで、とうとうすがすがしい冬の空気まで
それを聞いて笑い出したほど、広い野や畑が一面に嬉しげな音楽
で満たされたくらいだった。

「これはただ昔あったものの残像に過ぎないのだ」と、精霊は言っ
た。
「だから彼らには私達のことは分らないよ」

 陽気な旅人達が近づいて来た。そして、彼らが近づいて来た時、
スクルージは皆のことを覚えていて、その名前を呼んだ。
 どうしてスクルージは彼らに会ったことをそんなにすごく悦ん
だのだろうか?
 彼らが通り過ぎてしまった時、なぜスクルージの冷やかな目が
涙にぬれていたのか?
 スクルージの胸がどうして高鳴っていたのか?
 一人一人がそれぞれの家に帰るため、十字路や分かれ道にさし
かかった時、彼らが口々に「クリスマスおめでとう!」と、言い
交わすのを聞いて、なぜスクルージの胸に嬉しさが込み上げてき
たのだろうか?
 そもそも、スクルージにとってクリスマスは何なのだろう? 
(メリークリスマスおめでとうがちゃんちゃらおかしいわい! 
お前にとっちゃクリスマスの時は一体何だ!)

「学校にはまだ人の気配があるよ」と、精霊は言った。
「友達に置いて行かれた、独りぼっちの子がまだそこに残ってい
るよ」

 スクルージはその子を知っていると言った。そして、彼はすす
り泣きを始めた。

 精霊とスクルージは、懐かしさの残る小路に入り、大通りを離
れた。すると間もなく、屋根の上に小さな風見鶏が見えた。そし
て、鐘の下がっているキューポラを設けた鈍く赤いレンガの館へ
近づいて行った。それは大きな家だった。しかし、破産した家で
もあった。
 広々とした台所もほとんど使われないで、そのホコリは湿って
苔むしていた。
 窓ガラスも割れていた。
 門も立ち腐れになっていた。
 置き去りにされた鶏はクックッと鳴いて、厩舎の中を威張って
でもいるように歩いていた。
 馬車を入れる小屋にも物置小屋にも草が一面にはびこっていた。
 室内も同じように昔の堂々たる面影をとどめてはいなかった。
 陰気なホールに入って、いくつも開け放しになった部屋の出入
り口から覗いて見ると、どの部屋にも古ぼけた家具しか置いてな
く、冷えきって、広々としていた。
 空気は土臭い匂いがして、いたる所が寒々として何もなかった。
それは、あまりに朝早く起きてはみたものの、食べる物が何もな
いのと、どこか似ているところがあった。

 精霊とスクルージは、ホールを横切って、その家の裏にある出
入り口の所まで行った。
 その出入り口のドアはスクルージが押すと簡単に開いて、彼ら
の前に長く何もない陰気な部屋が広がって見えた。
 荒削りの樅(モミ)の板のイスとテーブルとが何列にもならん
でいるのが、いっそうそれをがらんがらんにして見せた。その一
つのイスに座って、一人の寂しそうな少年が暖炉のとろ火の前で
本を読んでいた。
 スクルージも一つのイスにゆっくりと座って、長く忘れていた
ありし日のあわれな自分を見て泣いた。

 家中に潜んでいる反響や天井裏のネズミがチュウチュウと鳴い
てじゃれあう物音や裏のうす暗い庭にあるツララの融けかけた雨
ドイのしたたりや元気のないポプラの落葉した枝の中に聞えるた
め息や何も入っていない倉庫のドアの時々思い出したようにバタ
バタする音や暖炉の中で火のはねる音も、すべてがスクルージの
胸を厚くさせ、心を揺さぶり、涙を潤ませた。また、懐かしさの
あまり、彼は自然に涙を流していた。

「ここがあんたの生まれた家なんだね」と、精霊が聞くと、スク
ルージは言葉にならず、ただうなずくだけだった。
「しかし、もう住めそうにはないね。その少年はこれからどこに
連れて行かれるのか不安でしょうがないみたいだ」と、精霊が言っ
た。

「本当に、そのとおりです」と、スクルージは少し落ち着いて言っ
た。

 精霊は、スクルージの腕をつかんで、別の場所に連れて行った。
そこは、小さな寄宿舎のような建物の門を入った所だった。

「ここは・・・」と、スクルージは戸惑いながら言った。

「忘れたのかい?」と、精霊が聞いた。

「いいえ、忘れるわけがありません。私の連れてこられた児童養
護園です」と、懐かしそうにスクルージは応えた。

 児童養護園は、貧しい家庭の子供を一時的に預かる施設だった
が、スクルージは少年の頃、預けられたままになっていた。

「ここは共立救貧院という公的な施設なのかい?」と、精霊は聞
いた。

 スクルージは精霊が、あの時、商会にやって来た二人の紳士と
の会話を知っていて、いやみで聞いていると感じた。
「いいえ、違います。民間の施設です」と、心苦しそうにスクルー
ジは応えた。

 精霊は表情一つ変えず、スクルージに児童養護園の中へ入るよ
うにうながした。

第二章 第一の精霊:その二

第二章 第一の精霊:その二

 それは不思議な得体だった。
 子供のような体で、しかも子供に似てるというよりは老人に似
てるといった方がいいかもしれない。(老人といってもただの老
人ではない)、一種の超自然的なフィルターを通して見ているよ
うで、だんだん視界から遠のいていって、子供の身長にまで縮小
された姿をしているといったような、そういう老人に似ているの
である。そして、その得体の首のまわりや背中の方に垂れ下がっ
ていた髪の毛は、年齢のせいでもあるかのように白くなっていた。
しかし、その顔には一筋のしわもなく、皮膚はみずみずしい子供
のつやを持っていた。腕は非常に長くて筋肉がたくましかった。
手も同様で、並々ならぬ握力を持っているように見えた。きわめ
て繊細に造られたその脚も足先も、腕と同じく露出していた。
 得体は純白のガウンを身に着けていた。そして、その腰の周り
には光沢のあるベルトを締めていたが、その光沢はとても美しい
ものだった。また、得体は手に生々した緑色の柊(ヒイラギ)の
一枝を持っていた。その冬らしい装いとは妙に矛盾した夏の花で、
その姿を飾っていた。しかし、その得体の身のまわりで一番不思
議なものといえば、その頭のてっぺんからまばゆい光りが噴出し
ていることだった。その光りのために暗い部屋でも細かい部分ま
ですべて見えたのである。そして、その光りを得体が、もっと鈍
くしたい時には、絶対に今はその脇の下にはさんで持っている大
きなランプシェードのような物を帽子のように使用するのだ。

 やがてスクルージが、落ち着いてその得体を見た時には、これ
ですらそれの有する最も不思議な性質とはいえなかった。という
のは、そのベルトの今ここがピカリと光ったかと思うと、次には
他の所がピカリと輝いたり、また今明るかったと思う所が次の瞬
間にはもう暗くなったりするにつれて、同じように得体の姿それ
自体も、今一本腕の化物になったかと思うと、今度は一本脚にな
り、また二十本脚になり、また頭のない二本脚になり、また胴体
のない頭だけになるというように、そのはっきりした部分が始終
揺れ動いていた。そして、それらの消えていく部分は濃い暗闇の
中に溶け込んでしまって、その中にあると、輪郭すら見えなくな
るのだ。また、それを不思議だと思っているうちに、得体は再び
元の姿になるのだ。元のようにはっきりとした姿にだ。それは霊
的なものというよりも異星人のほうがイメージしやすいかもしれ
ない。

「貴方が、あの来られると言われた精霊様でいらっしゃいますか?」
と、スクルージは聞いてみた。

「そう!」と、精霊は応えた。

 その声は静かで優しかった。
 精霊が耳元でささやいたという感じではく、かなり離れた場所
から低い声で喋っているように聞こえた。

「貴方は誰で、またどんな方でいらっしゃいますか?」と、スク
ルージは聞いた。

「私は過去のクリスマスの精霊だよ」と、精霊は応えた。

「ずっと昔の過去のですか?」と、スクルージはその小人のよう
な身長を観察しながら聞いた。

「いや、あんたの過去だよ」と、精霊は応えた。

 たとえ誰かが聞いたとしても、たぶんスクルージはその理由を
語ることが出来なかっただろう。しかし、彼はどういうものか、
その精霊に帽子を被せて見たいものだという特別な望みを抱いた。
それで、精霊が持っていた大きなランプシェードのような物を被
るように精霊に頼んだ。

「何だと!」と、精霊は叫んだ。
「あんたはもう、なれなれしくなり、せっかく私があんたらを暗
闇から開放してやっている灯火を消そうと言うのか。私が持って
いるこのキャップは多くの者の欲望で出来ている。そして、長い
年月の間、ずっと私の重荷となり、邪魔をしていたものだ。あん
たもその一人だが、いい加減にしてもらいたいね」

 スクルージは、けっして精霊を怒らせるつもりはなかった。ま
た、自分は生涯、いつ何時も、わざと精霊を侮辱したりはしない
と、恐縮して言い訳をした。それから彼は、話題を変えて、どう
いう理由でここへやって来たのか聞いてみた。

「あんたの幸せのためにだよ」と、精霊は応えた。

 スクルージは感謝の気持ちをあらわした。しかし、一夜を邪魔
されずに休息した方が、もっと幸せだったろうと考えずにはいら
れなかった。
 精霊はスクルージがそう考えているのが分かっているらしかっ
た。というのは、すぐにこう言ったからである。
「じゃ、あんたの改心のためだよ。さあいいか!」
 こう言いながら、精霊はその頑丈な片手を前に上げ、スクルー
ジの腕をそっとつかんだ。
「さあ立て! 一緒に歩くんだよ」

 天気が悪く、こんな夜中に歩くのは困難だと言い訳したり、ベッ
ドが暖かく、温度計が氷点下以下になっていると説明したり、自
分はスリッパとガウンとナイトキャップしか着けていないと訴え
たり、それに自分は今、風邪をひいていると反抗しても、それら
はスクルージを助けるのに、なんの役にも立たなかっただろう。

 スクルージをつかんだ精霊の手は、女性の手のように優しかっ
たが、その握力には抵抗できそうもなかった。
 スクルージは立ち上がった。しかし、精霊が窓の方へ歩み寄っ
たので、彼は精霊のガウンにすがりついて泣き出しそうに言った。
「私は生身の人間でございます」と、スクルージはもっともなこ
とを言った。
「ですから落ちてしまいますよ」

「そこへちょっと私の手を当てさせろ」と、精霊はスクルージの
胸に手をのせながら言った。
「こうすれば、あんたはこんなことくらいなんでもない。もっと
危険な場合にも対処できるのさ」

 こう言ったと思ったら、精霊とスクルージは壁を突き抜けて、
左右に畑の広々とした田舎道に立っていた。
 ロンドンの街はすっかり消えてなくなっていた。その痕跡すら
見当たらなかった。
 暗闇も霧もそれと共に消えてしまった。それは地上に雪の積っ
ている晴れた冷い冬の日だった。

第二章 第一の精霊:その一

第二章 第一の精霊:その一

 スクルージが目を覚ました時には、ベッドから外の方を見ても、
その部屋の不透明な壁と透明な窓ガラスとの見分けがほとんどつ
かないぐらいに暗かった。彼はフェレットのようにキョロキョロ
した目で闇の中にある物を見ようとした。その時、近郊の教会の
鐘が十五分を告げる時の音を四回鳴らした。そこで、彼は時の音
を聴こうと耳を澄ました。

 スクルージがすごく驚いたのは、重い鐘が六つから七つと続け
て鳴り、七つから八つと続けて鳴ると、正確に十二まで続けて鳴っ
て、そこでピタリと止んだことだ。

 夜中の十二時! 
 スクルージがベッドについた時には夜中の二時を過ぎていた。
 時計が狂ってるんだ。
 機械の中にツララが入り込んだのに違いない。
 夜中の十二時とは!

 スクルージは、このでたらめな時計に惑わされまいと、自分の
懐中時計の時報スプリングに手を触れた。その急速な小さな鼓動
は十二回鳴り、そして止まった。

「何だって」と、スクルージは言った。
「まる一日寝過ごして、次の日の夜中まで眠っていたなんて! 
そんなことはあるはずがない。だけど、何か太陽に異変でも起っ
て、これが昼の十二時だということもないだろう!」

 そうだとすれば大変なことなので、スクルージはベッドから飛
び起きて、探り探り窓のところまで行った。ところが、窓ガラス
に霜がつき、何も見えないので、やむを得ずガウンの袖で霜をは
らい落した。すると、ほんの少しだけ外を見ることが出来た。

 スクルージがやっと見分けることの出来たのは、まだ非常に霧
が深く、耐えられないほど寒い光景だけで、大騒ぎをしながらあ
ちらこちらへと走り回っている人々の物音などは少しもなかった
ということだった。
 もし夜が朝日を追い払って、この世界を占領したとすれば、騒
がしい物音が当然、起っていたはずだろう。それがなかったので
スクルージは少し安心した。なぜなら、数えるべき日というもの
がなくなったら「小切手を受け取って三日以内に、エベネーザー・
スクルージもしくはその指定人に支払うこと」等々は、無効とな
り、その収益は政府に奪われることになったろうと思われるから
だ。

 スクルージは、またベッドに入った。そして、この状況を考え
た。考えて考えて、いくら考えてもさっぱり訳が分らなかった。
 考えれば考えるほど、いよいよ混乱してしまった。
 忘れようとすればするほど、ますます考えざるを得なかった。
 マーレーの亡霊はいちいちスクルージを悩ませた。
 スクルージは、よくよく考えたあげく、それはまったくの夢だっ
たと思い込もうとするたびに、心は強いバネが放たれたように、
また元の位置に飛び返って「夢だったのか? それとも夢じゃな
かったのか?」と、始めからやり直すように同じ悩みがよみがえっ
た。

 鐘がさらに十五分の時の音を三回鳴らすまで、スクルージはな
すすべもなくベッドで横になっていた。そして、突然、鐘が夜中
の一時を鳴らした時には、マーレーの亡霊が「最初の精霊が来る
から覚悟するように」と、忠告していったことを思い出した。彼
はその時間が過ぎてしまうまで、目を開けたまま横になっていよ
うと決心した。なるほど、彼がもう眠らないということは、死ん
であの世に行くことはないだろうから、これは恐らく彼の力で出
来ることとしては一番賢い決心だったろう。

 それからの十五分は非常に長くて、スクルージは一度ならず、
思わず、うとうととして、時計の音を聞きもらしたに違いないと
思ったくらいだった。とうとうそれが彼の用心深くなっていた耳
に突然、鳴り響いてきた。

「ディン、ドン!」

「十五分過ぎ!」と、スクルージは数えながら言った。

「ディン、ドン!」

「三十分過ぎ!」と、スクルージは言った。

「ディン、ドン!」

「もうあと十五分」と、スクルージは言った。

「ディン、ドン!」

「いよいよだ!」と、スクルージは身構えて言った。
「しかし何事もない!」

 スクルージは、時の音が鳴らないうちにそう言った。だけど、
その鐘は今や深く鈍い、うつろで陰うつな、夜中の一時を告げた。
 たちまち部屋中に光が点滅して、ベッドのカーテンが引き開け
られた。

 スクルージのベッドの四方を覆っていたカーテンは、私はあえ
て詳細に言うが、片手でわきへ引き寄せられた。側面のカーテン
でも、後ろのカーテンでもない。スクルージの顔が向いていた方
のカーテンなのだ。

 スクルージのベッドのカーテンはわきへ引き寄せられた。そし
て、彼は、飛び起きてベッドに座った状態で、カーテンを引いた
その人間ならぬ訪問客と対面した。
 ちょうど私が今、皆さんに接近しているのと同じように密接し
た状態だ。そう、私は、精神的には皆さんのすぐそばに立ってい
るのである。

第一章 マーレーの亡霊:その九

第一章 マーレーの亡霊:その九

 マーレーの亡霊は、スクルージの前からだんだんと後退りして
行った。そして、それが一歩退くたびに、窓は自然に少しずつ開
いて、マーレーの亡霊が窓に達した時には、すっかり開いていた。

 マーレーの亡霊は、スクルージにそばへ来るようにと手招きし
た。それに彼は従った。

 マーレーの亡霊は、スクルージとの距離があと二歩のところで、
手をあげて、これよりそばへ近づかないように指示した。それで、
スクルージは立ち止まった。これは、マーレーの亡霊の指示で立
ち止まったというよりも、むしろ驚いて恐れて立ち止まったのだ。
というのは、マーレーの亡霊が手をあげた瞬間に、空中の雑然と
した物音が、混乱した悲嘆と後悔の響きが、何ともいえないほど
悲しげな、自らを責めるような悲しみ叫ぶ声が、スクルージの耳
に聞えて来たからだ。

 マーレーの亡霊は、ちょっと耳を澄まして聞いた後で、自分も
その悲しげな哀歌に、表情をゆがめ、体を震わせた。そして、窓
から物寂しい暗夜の中へ吸い込まれるように出て行った。

 スクルージは、自分の好奇心から無意識に、窓のそばまで近づ
いて行った。そして、彼は外を眺めた。

 空中には、落着きがなく、急いであちらこちらをさまよい、そ
して、進みながらうめき声をだしている魔物達で満たされていた。
そのどれもこれもが、マーレーの亡霊と同じような鎖を身につけ
ていた。その中には、二、三の者が一緒に繋がれていた。(これ
は共謀者かもしれない)

 鎖で縛られていない者は、一人としていなかった。
 生きていた時には、スクルージと親しくしていたユダヤ人も沢
山いた。その中でも、白いチョッキを着て、くるぶしに素晴らし
く大きな鉄製の金庫を引きずっている一人の老いた亡霊は、生前
にスクルージと特に親しくしていた。その亡霊は、ビルの出入り
口のステップにいる、赤ちゃんを抱いた貧しい女性を助けてやる
ことが出来ないと、痛々しげに泣き叫んでいた。
 彼らのすべての不幸は、あきらかに彼らが人助けをしたいと望
んでいても、永久にその力を失ったというところにあった。

 これらの亡霊が霧の中に消え去ったのか、それとも霧が彼らを
包んでしまったのか、スクルージには分らなかった。しかし、彼
らもその声も共に消えてしまった。そして、夜は、スクルージが
このビルまで歩いて帰って来た時と同じようにひっそりとなった。

 スクルージは窓を閉めた。そして、マーレーの亡霊の入って来
たドアを確かめた。それは彼が、自分の手で鍵をかけた時と同じ
ように、ちゃんと二重に鍵がかかっていた。ボルトにも異常はな
かった。
 スクルージは「バカバカしい!」と言いかけたが、口ごもった
ままやめた。そして、自分の受けた感動からか、それとも昼間の
疲れやあの世をちょっと垣間見て、マーレーの亡霊と交わした不
吉な会話や深夜だったからか分からないが、すごい睡魔に襲われ
たので、ガウンも脱がないで、そのままベッドへ入って、すぐに
ぐっすりと寝入ってしまった。

第一章 マーレーの亡霊:その八

第一章 マーレーの亡霊:その八

 スクルージが考え込む時には、いつもズボンのポケットに両手
を突っ込むのが癖だった。彼は必死に、マーレーの亡霊が言った
話のつじつまが合うのか考えた。そしてしばらく、彼は、目もあ
げなければ、立ち上がりもしなかった。

「すごくゆっくりとやって来たのでしょうか?」と、スクルージ
はねぎらいの気持ちはあったが、事務的な口調で質問した。

「ゆっくりだ!」と、マーレーの亡霊はスクルージの言葉を繰り
返した。

「死んでから七年」と、スクルージは時を振り返るように言った。
「その間、始終歩き続けたのでしょうか?」

「始終だとも」と、マーレーの亡霊は応えた。
「休息もなければ、安心もない。絶え間なく後悔に苦しめられて
いるんだよ」

「では、よほど速く歩いてるのですか?」と、スクルージは聞い
た。

「風の翼に乗ってね」と、マーレーの亡霊は応えた。

「それじゃ、七年の間には、すごく沢山の世界を歩かれたでしょ
う」と、スクルージは言った。

 マーレーの亡霊は、それを聞いてもう一度、叫び声をあげた。
そして、役所がそれを安眠妨害として告発してもおかしくないと
思われるような、怖ろしい物音を真夜中に響かせて、鎖をガチャ
ガチャと鳴らした。

「おお! 縛られた。二重に足かせをはめられた捕虜よ」と、マー
レーの亡霊は叫んだ。
「不死の人々が、いく時代もかけて、この世のためになされた不
断の努力や、この世で与えられるはずの善が、まだことごとく広
められてもいないのに、永遠の暗黒の中に葬られるとも知らない
で。民の魂が、どんな境遇にあるにせよ、その小さな範囲内で、
それぞれその役目に合った働きをしている。そのいずれも、自分
に与えられた力で、人のために尽くさなければいけない範囲の広
大なのに比べて、その一生の余りに短すぎることに気づかなかっ
たとは。一生のチャンスを無駄遣いしたことに対しては、いくら
長い間、後悔を続けてもそれを償えないと知りもしなかった! 
そうだ、私はそういう人間だった! ああ、私はそういう人間だっ
たんだ!」

「だがしかし、貴方はいつも立派な商売人でしたよ」と、スクルー
ジはなぐさめるように言った。彼は、マーレーの亡霊の語った言
葉が、自分のことのように思えたのだ。

「商売人だって!」と、マーレーの亡霊はまたもやその手を振る
わせながら叫んだ。
「私がやっていたのは、金集めのゲームだよ。それもルール違反
ギリギリの姑息なやり方でね。仕事など一度もやったことはない。
本当にやらなければいけない仕事は人の役に立つことだ。社会の
福祉が私の仕事だった。慈善と恵みと堪忍と博愛で文明開化させ
ること。そのすべてが私のすべき仕事だったよ。そのためにする
商売上の取引などは、私の能力を発揮するための、大海原の水の
一滴をすくう程度のことだったんだ」

 マーレーの亡霊は、これがあらゆる自分の無益な悲嘆の源泉だ
とでも言うように、腕に力をこめてその鎖を持ち上げた。そして、
それを再び床の上にドッサリと投げ出した。

「一年のこの時期には」と、マーレーの亡霊は言った。
「私は一番苦しむんだ。なぜ、生前、私は仲間が集っている中を
目を伏せたまま通り抜けたんだろう? そして、賢者を貧しい人々
に導いたあの祝福の星を仰いで見なかったんだろう? 世の中に、
あの星の光が私を導いてくれるような貧しい家は無かったのか?」

 スクルージは、マーレーの亡霊がこんな調子で話し続けている
のを聞いて、非常に落胆した。そして、非常にガタガタと動揺し
始めた。

「よく聞いておくんだ!」と、マーレーの亡霊は叫んだ。
「私の時間はもう尽きかけているんだからね」

「はい、聞いています」と、スクルージは言った。
「ですが、どうかお手柔らかにお願いいたします。あまり言葉を
大げさにしないでください。ミスター・ジェイコブ、お願いしま
す」

「姿は見せなかったが、私は何日も何日もお前のそばに座ってい
たんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。

 それは聞いてあまり気持のよい話ではなかった。
 スクルージは身震いがした。そして、額から汗をふきとった。

「こうして座っているのも、私の難行苦行の中で、あまり易しい
方ではないんだよ」と、マーレーの亡霊は言葉を続けた。
「私は今晩ここへ、お前にはまだ私のような運命を逃れるチャン
スも望みもあるということを教えてやるためにやって来たんだ。
つまり、私の手で調べてあげたチャンスと望みがあるんだよ。ミ
スター・エベネーザー」

「貴方は、いつも私には親切な友人でしたからね」と、スクルー
ジは言った。
「本当に有難う!」

「お前のもとに訪れるよ」と、マーレーの亡霊は言った。
「三体の精霊が」

 スクルージの顔が、ちょうどマーレーの亡霊のあごが垂れ下がっ
たと同じぐらいに垂れ下がる思いだった。

「それが、貴方の言ったチャンスと望みのことなのですか? ミ
スター・ジェイコブ」と、スクルージはおどおどした声で聞いた。

「そうだよ」と、マーレーの亡霊は応えた。

「私は・・・。私はできれば来てほしくないのですが」と、スク
ルージは言った。

「三体の精霊の訪問を受け入れなければ」と、マーレーの亡霊は
言った。
「絶対に私の歩んでいる道を避けることは出来ないよ。明日、夜
中の一時の鐘が鳴ったら、最初の精霊が来るから覚悟しておくん
だね」

「皆さん一緒に来て頂いて、一度に済ましてしまうわけにはいき
ませんかね、ミスター・ジェイコブ」と、スクルージは彼の機嫌
をうかがいながら言った。

「その次の夜中の同じ時刻には、次の精霊が来るから覚悟してお
くんだ。そして、その次ぎの夜中の十二時に最後の時を告げる鐘
が鳴り止んだら、最後の精霊が来るから覚悟しておくんだよ。そ
れから、私の残した私の財産をすべて使いきり、この鎖の苦しみ
から解放してくれ。そして、もうこれ以上、私と会おうと思うな。
今夜、こうして二人が会い、語り合ったことをお前自身のために
忘れるんじゃないぞ!」

 この言葉を言い終わった時、マーレーの亡霊は、頭からあごの
まわりに巻きつけたハンカチの結び目を再びほどき、あごを上に
押し上げ、骨にガチリという音をさせながらしっかりと固定して
結んだ。
 スクルージは、骨の鳴る音で気づき、思いきってマーレーの亡
霊の方を見た。すると、この超自然の来客は、腕に抱えた鎖をグ
ルグルと巻きつけたまま、直立不動の姿勢で彼と向い合って立っ
ていた。

第一章 マーレーの亡霊:その七

第一章 マーレーの亡霊:その七

 一秒でも黙って、この微動だにしない、どんよりと生気のない
マーレーの亡霊の目を見つめて座っていようものなら、それこそ
自分の生命に関わりそうに、スクルージは感じた。それに、マー
レーの亡霊が辺りを地獄のような気配にしていることにも、何か
しら非常に恐ろしい気がした。
 スクルージは、自分が直接その気配を感じたのではなかった。
しかしそれは、あきらかに事実だった。というのは、マーレーの
亡霊はぜんぜん身動きもしないでイスに座っていたけれど、その
髪の毛や衣服のすそやブーツの紐が、オーブンから昇る熱気にで
も吹かれているように、フワフワと浮いて始終動いていたからだ。

「このスプーンは見えているかい?」と、スクルージは言って、
手に持ったスプーンを自分から遠ざけ、今あげたような理由から、
早速、開き直りながら突撃してみた。また、それには、ただの一
秒でもよいから、マーレーの亡霊の石のような凝視をよそへそら
したいとの願望もあった。

「見えるよ」と、スクルージを見たままマーレーの亡霊が応えた。

「スプーンの方を見ていないじゃないか」と、スクルージは言っ
た。

「でも、見えるんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。
「見ていなくてもね」

「なるほど!」と、スクルージはあることをひらめいた。
「私はただこれを丸呑みにしさえすればいいんだ。そして、一生
の間、自分で作りだした化物の群れに始終いじめられてりゃ世話
はないや。バカバカしい、本当にバカバカしいわい!」

 これを聞いたマーレーの亡霊は、怖ろしい叫び声をあげた。そ
して、ものすごくゾッとするような物音を立てて、体中の鎖をゆ
さぶった。
 スクルージは気絶しそうになり、しっかりとイスにしがみつい
た。そして、彼は無意識にひざまづいて、顔の前に両手を合せた。

「助けてくだい!」と、スクルージは言った。
「恐ろしい亡霊様、どうして貴方は私をお苦しめになるのですか?」

「世の中を見ようともしない、欲深い奴だ」と、マーレーの亡霊
は怒鳴った。
「お前は私を信じるか? どうだ!」

「信じます」と、スクルージは言った。
「信じないではいられません。ですが、どうして亡霊が出るので
すか? それに、何だって私のもとへやって来るのですか?」

「誰しも人間というものは」と、マーレーの亡霊は話し始めた。
「自分の中にある魂を、世の中で同士の精神と通わせて、あちら
こちらへと常に旅行させなければならない。もしその魂が生きて
いるうちに閉じ込めて通わせなければ、死んでからそうするよう
に定められているのだ。そのため、世界中をさまよわなければな
らない。ああ、悲しいことだ! そして、この世にいたら共有す
ることも出来たろうし、幸福にしてやることも出来たろうが、今
は自分が共有することの出来ない事柄を目撃するように、その魂
は運命を定められているのだよ。幸い、私はお前が、お前にして
は荘厳な葬儀をしてくれたので、お前に会う最後のチャンスをい
ただいたのさ」

 マーレーの亡霊は再び叫び声をあげた。そしてまた、体中の鎖
をゆさぶって、その幻影のような両手を振るわせた。

「貴方は縛られていらっしゃいますね」と、スクルージは震えな
がら言った。
「どういう訳ですか?」

「私が生存中に鍛えた鎖を身に着けているのさ」と、マーレーの
亡霊は応えた。
「私は一つの輪っかずつ、一ヤードずつ、作っていった。そして、
自分自身で巻きつけたんだ。自分自身で縛りつけたんだ。お前は
この鎖の型に見覚えがないかね?」
 
 スクルージは思いをめぐらしながら、ますます震えた。

「お金は道具だ。使わなければ価値がない。私がせっせと集めて
貯めこんだお金は、ただの金属と紙だ。それほど金属と紙が欲し
いのならと、神がこうして鉄の鎖を作るように命じたのだ。もっ
とも、最初はこんなに長くなかったのに、お前が私の残した財産
を増やしたものだから、こんなに重く、長くなってしまったのだ
よ。そうだ、そうだ」と、マーレーの亡霊は言葉を続けた。
「お前は自分でも背負っているその頑丈な鎖の重さと長さを知り
たいかね? それは七年前のクリスマスイブでも、これに負けな
いくらい重くて長かったよ。その後もお前は一生懸命稼いで殖や
していったからね。私の分まで・・・。今は素晴らしく重く長い
鎖になっているよ」

 スクルージは、もしか自分もあんな五、六十フィートもあるよ
うな鉄の鎖で縛られているんじゃないかと、周囲の床の上を見ま
わした。しかし、何も見ることは出来なかった。

「ジェイコブ」と、スクルージは心底願うように言った。
「ジェイコブ・マーレーよ。もっと話しをしておくれ。気が楽に
なるようなことを言っておくれ、ジェイコブよ」

「何もしてやれないね」と、マーレーの亡霊は応えた。
「そういうことは他の世界をのぞいてみることだ。エベネーザー・
スクルージよ。そして、自分の信仰とは違う使者や質の違う人間
の習慣も受け入れてみることだよ。そうしたことは私が自分の言
葉で話すわけにはいかない。それに、あともうほんの少しの時間
しか許されていないんだ。私は休むことも停まってることも出来
ない。どこかでぐずぐずしてることも出来ない。私の魂は私達の
事務所より外へ出たことがなかった。よく聞いておくんだ。生き
ている間、私の魂は私達の社内の狭い天地より一歩も出なかった。
そして、今や飽き飽きするような長たらしい旅路が私の前に横わっ
ているんだよ」

第一章 マーレーの亡霊:その六

第一章 マーレーの亡霊:その六

 ワイン商の穴ぐらのドアは、ブンとうなって開いた。
 その後、スクルージには、前よりも高くなったその物音が階下
の床で鳴っているように聴こえた。それから階段を上がり、まっ
すぐに、この部屋のドアの前の方へやって来るのを聴いた。

「またバカな真似をしてやがる!」と、スクルージは言った。彼
は家政婦か洗濯をしに来る女性がいたずらをしているぐらいに思
いたかった。しかし、それと同時にマーレーの顔が頭をよぎった。
「誰がそれを本気にするものか」

 スクルージはそう言ったものの、突然、それが重いドアを通り
抜けて部屋の中へ、しかも、彼の目の前まで入り込んで来た時に
は、彼も顔色が変った。
 それが入って来た瞬間に、消えかかっていたロウソクの炎が、
あたかも「私は彼を知っている! マーレーの亡霊だ!」とでも
叫ぶように、ボッと燃え上がって、また暗くなった。

 同じ顔、紛れもない同じ顔だった。
 長い後ろ髪を束ねてまとめ、いつものチョッキ、タイツ、それ
にブーツをはいたマーレーだった。
 ブーツに付いたふさは、後ろ髪や上着のすそや髪の毛と同じよ
うに逆立っていた。
 亡霊の引きずって来た鎖は、腰の周りに巻きつけられていた。
それは長く、ちょうどシッポのように、彼の足元にも垂れ下がっ
ていた。
 スクルージは詳細に亡霊を観察した。
 鉄の鎖には金庫や鍵や南京錠や台帳や証券や鉄で細工をした重
い財布が取り付けてあり、鎖が体から外れないように縛る役目を
していた。
 亡霊の体は透き通っていた。そのため、スクルージは、亡霊を
観察して、チョッキが透すけて上着の背後についている二つのボ
タンを見ることができたぐらいだった。

 スクルージは、生前のマーレーが「お腹がすいたことがない」
と、言っていたのを度々聞いたことがあった。しかし、今までは
けっしてそれを本当にしていなかった。いや、今でもそれを本当
にはしなかった。彼は、亡霊をしげしげと見て、それが自分の前
に立っているのだと受け入れてはいた。また、その死のように冷
い目が、人をゾッとさせるような影響を感じてはいた。そして、
頭からあごへかけて巻きつけていた折りたたんだハンカチの布目
に気がついていた。まあ、こんな物を生前にマーレーが巻きつけ
ているのを彼は見たことがなかったのだが。それらが目の前にあ
るとしても、まだ彼は認めることができなくて、自分と自分の感
覚を疑おうとした。

 亡霊は、頭からあごへかけて巻きつけていたハンカチが、口を
動かせなくしていたので、結び目をほどいた。すると、ほどきす
ぎて、その下の皮膚が腐敗していたのか、あごがだらりと胸のあ
たりまで落ちた。
 その時のスクルージを襲った恐怖はどんなに大きかったことだ
ろう。
 亡霊は、あごをつかむと、あるべき場所にはめて、ハンカチを
調節して結び、口を動かしてみた。

「どうしたね!」と、スクルージは平常心をよそおい、皮肉をこ
めて冷淡に言った。
「何か私に用があるのかね?」

「沢山あるよ」と、言った声は、間違いなくマーレーの声だった。

「貴方は誰ですか?」と、スクルージは聞いた。

「誰だったかと聞いてほしいね」と、亡霊は言い返した。

「じゃ、貴方は誰だったのですか?」と、スクルージは声を高め
て言った。そして、彼は「亡霊にしては、いやにこまかいね」と、
言った。もちろん、スクルージが亡霊について詳しいわけではな
い。本当は「些細なことまで」と言おうとしたのだが、比喩的な
言葉としてこの方がふさわしいと思って言い換えたのだ。

「生存中、私は貴方の仲間、ジェイコブ・マーレーだったよ」と、
マーレーの亡霊は応えた。

「貴方は・・・。貴方はイスに座れるかね?」と、スクルージは
どうかなと思うように相手を見ながら聞いた。

「出来るよ」と、マーレーの亡霊は応えた。

「じゃ、座ろうじゃないか」と、スクルージは言って、恐る恐る
イスに座った。

 スクルージがこんな質問をしたのは、冷静に考えて、透明な亡
霊でもイスに座れるものかどうか、彼には分らなかったからだ。
そして、それが出来ないという場合には、亡霊も面倒な言い訳を
するのか知りたかったのである。ところが、マーレーの亡霊は、
そんなことには馴れきっているというように、暖炉近くにあった
イスを触ることもなく移動させて、スクルージのイスに対面する
位置に止めると、平然とそのイスに座った。

「お前は私を信じていないね」と、マーレーの亡霊は言った。

「信じないさ」と、スクルージは言い返した。

「私の存在については、お前の感覚以上にどんな証拠があると思っ
ているのかね?」と、マーレーの亡霊は聞いた。

「私には分らないよ」と、スクルージは応えた。

「じゃ、何だって自分の感覚を疑うんだい?」と、マーレーの亡
霊は聞いた。

「それは」と、スクルージは言って続けた。
「些細な事が感覚には影響するものだからね。胃の調子が少し狂っ
ても感覚を詐欺師にしてしまうよ。お前さんは消化しきれなかっ
た牛肉の残りかも知れない。カラシの一粒か、チーズの残りか、
生煮えのイモの砕片ぐらいの物かも知れないね。お前さんが何で
あろうと、お前さんには墓場よりもスープの味わいがあると思う
のさ」

 スクルージは、あまり冗談など言う男ではなかった。またこの
時、心の中はけっしてふざける気持になってもいなかった。実を
いえば、彼はただ自分の心を紛らわしたり、恐怖を鎮めたりする
手段として、気のきいたことでも言ってみようとしたのだった。
それというのも、マーレーの亡霊の声が心底、彼を動揺させたか
らだ。