2014年4月10日木曜日

第二章 第一の精霊:その六

第二章 第一の精霊:その六

 公園にいた昔のスクルージは前よりも歳をとっていた。彼は中
年の働き盛りの男性になっていたのだ。その彼の顔には、まだ今
のスクルージような、厳しく頑固な面影はなかったが、世の中で
生きてきた気苦労と貪欲な性格の兆しはすでにもう現われかけて
いた。その目には、何か獲物を狙っているような貪欲で、警戒心
の強い輝きがあった。そして、それは彼の心に根を張った欲情を
あらわにしていて、だんだん成長するその木(欲情の木)の影が
やがて落ちそうな場所を示していた。

 昔のスクルージは一人ではなく、公園のベンチにドレスを着た
美しい娘が座り、彼はその側に座っていた。
 その娘の目には涙があふれていた。その涙は過去のクリスマス
の精霊から発する光の中にきらめいていた。

「それは何でもないことですわ」と、彼女は静かに言った。
「貴方にとっては本当に何でもないことですわ。他の可愛いもの
が私にとって代っただけですもの。これから先、それがもし、私
が貴方のそばにいたら、私がしてあげようとしていたことと同じ
ように、貴方を励ましたり、なぐさめたりしてくれることが出来
れば、私が口をはさむ理由などありませんものね」

「私にどんな可愛いものがお前にとって代ったと言うんだ?」と、
昔のスクルージは問いただした。

「金色のもの」と、彼女はそっけなく応えた。

「それは世の中で生きていくうえで、正当に評価されるものだよ」
と、昔のスクルージは言った。
「貧乏ほど世の中でバカにされることは他にない。それでいて金
を得ようとする者ほど世の中から攻撃されることも他にはないん
だよ」

「貴方はあまりに世の中というものを怖がり過ぎよ」と、彼女は
優しくたしなめた。
「貴方に以前あった希望は、そういう世の中で耐え抜いていこう
とするあまりに、どこかに消え去ったのね。私は、貴方のかけが
えのない希望が打ち砕かれて、とうとう最後に拝金だけが貴方の
心を占領してしまうのをみてきました。そうじゃありませんか?」

「それがどうしたというんだ!」と、昔のスクルージは言い返し
た。
「仮に私が希望を失い、金に支配されたとして、それがどうだと
いうんだ? お前に対しては何も変わらないよ」

 彼女は顔を横に振った。

「変っているとでも言うのかい?」と、昔のスクルージは聞いた。

「私達二人の約束はもう古いものです。二人とも貧しくて、それ
で、お互いに我慢して働いて、いつか二人の暮らしが良くなる日
が実現するまではと、それに満足していた時に、その約束は出来
たものです。それが貴方を変えました。その約束をした時は、貴
方は全然別の人でしたもの」と、彼女は応えた。

「私は成長したんだよ」と、昔のスクルージはじれったそうに言っ
た。

「貴方も心のどこかで、以前の貴方でないことは気づいているは
ずですわ」と、彼女は言い返した。
「私は変わらないし、そんな成長はしたくはありません。二人の
心がかよいあっていた時に、貴方は将来の幸福を約束してくれま
した。しかし、心がはなればなれになった今では、不幸が重荷に
なるばかりですわ。私はこれまで何度、またどんなに熱心にこの
ことを考えたか、それはもう言っても仕方のないこと。私はもう
疲れ果てたのです。だからもう私にできることは、貴方との縁を
切ってあげることぐらいです。貴方もそれがお望みでしょ?」

「私がこれまで一度でも、君との別れを求めたことがあるかい?」
と、昔のスクルージは聞いた。

「口ではね。いいえ、それはありませんわ」と、彼女は応えた。

「じゃ、どうして求めたというんだ?」と、昔のスクルージは聞
いた。

「貴方は性格が変わり、気持ちが変わり、生活の雰囲気がまるで
違ってきましたわ。貴方のその大きな目的のために希望まですべ
て変わってしまいました。貴方が感じていた私の愛情や共通の価
値観のすべてが変わったのです。この約束が二人の間にかつてな
かったとしたら」と、彼女は穏やかに、しかしじっくりと昔のス
クルージを見つめながら言った。
「貴方は今、私を探し出して、私の手を求めようとなさいますか?
ああ、そんなこと、絶対ないわ!」

 昔のスクルージは、この推測の正しさに自分も納得して、一瞬、
動揺した。しかし、あえてその感情を抑えながら言った。
「お前の考えは間違っているよ」

「私も出来ることなら、そんな風に考えたくはないわ」と、彼女
は言った。
「それはもう神様だけがご存知です! 私が悟った時には、それ
がどんなに強く、そして抵抗できないか、そうに違いないかとい
うことを知ったのです。でも今日にしろ、明日にしろ、また昨日
にしても、貴方が仮りに自由の身になったとして、財産もない家
柄の娘を貴方がお選びになるということが、私に信じられますか?
他の女性と接する時も、貴方は、その人の家柄や財産を気にする
ようになっているのに。それとも、ほんの気まぐれで、貴方がそ
の唯一、支配されている拝金主義に背いて、その娘をお選びになっ
たとして、あとできっと悔やんだり、恥じたりするに違いないの
を、私が分からないとでもおっしゃるのですか? 私にはちゃん
と分かります。だから、貴方との縁を切ってあげます。それはも
う心から喜んで、以前の貴方に対する愛のために」

 昔のスクルージは何かを言おうとした。しかし、彼女は彼に顔
をそむけたまま、なおも言葉を続けた。
「貴方にもこれは多少の苦痛かもしれませんね。これまでのこと
を思うと、私は本当にそうあって欲しいような気もします。しか
し、それもほんのわずかの間ですわ。わずかの間がすぎれば、貴
方はすぐにそんな思い出は、価値のない夢として、喜んで捨てて
おしまいになるでしょう。まあ、あんな悪夢から覚めてよかった
というように思って。どうか貴方のお選びになった生活で幸せに
暮して下さい!」

 彼女は昔のスクルージの前を去った。こうして、二人は別れて
しまった。

「あんたはそうとう裕福になったみたいだね」と、精霊が言った。

「精霊様!」と、スクルージは言った。
「もう見せないで下さい! 自宅(うち)へ連れ戻して下さい。
そんなに精霊様は私を苦しめるのが面白いのですか?」

「なぜだね。あんたは裕福になって望みが叶ったんだろ。愛なん
てバカバカしいものはない。あんな娘と縁が切れてよかったんじゃ
ないのかね」と、精霊は言い返した。

「彼女は私のもとを去ったんです。こんなみじめな話はありませ
んよ」と、スクルージはうなだれて言った。

「裕福になったあんたに叶えられない望みはないだろう。あの娘
はわがままを言って去っていったんじゃないのか? それとも、
あんたにも叶えられない望みがあるのかい?」

「そりゃあ、いくらだってありますよ。お金はそんなに万能じゃ
ありませんから」と、スクルージは応えた。

「それじゃあ、あんたでも叶えられない娘の望みとやらはなんだっ
たのかね? もう一つ、残像を見せてやろう!」と、精霊は叫ん
だ。

「もう沢山です!」と、スクルージは叫んだ。
「もう沢山です。もう見たくありません。もう見せないで下さい!」

 しかし、少しも容赦のない精霊は、両腕の中にスクルージをは
がいじめにして、無理矢理に別の時空間に連れて行った。