2014年4月9日水曜日

第一章 マーレーの亡霊:その二

第一章 マーレーの亡霊:その二

 外部の暑さも寒さもスクルージにはほとんど何の影響も与えな
かった。どんな暖気も彼を暖めることは出来ず、どんな寒空も彼
を冷えさせることは出来なかった。
 激しく吹く風よりもスクルージは厳しく、とめどなく降る雪よ
りも彼はその目的に対して一心不乱で、どんなにどしゃ降りの雨
よりも彼は容赦しなかった。
 険悪な天候もすべての点でスクルージをしのぐことはできなかっ
た。最も強い雨や、雪や、あられや、ひょうでさえも、ただ一つ
の点で彼より徹底したものはなかった。それは、これらのものは
時々、気前よく降って来た。だけど、彼が気前よくお金を払うと
いうことは絶対になかったからだ。

 誰かが道端でスクルージを呼びとめて、嬉しそうに微笑んで、
「スクルージさん、お元気ですか? どうか私のところへ寄って
行ってくれませんか?」などと声をかける者はなかった。
 ホームレスでさえスクルージに「お恵みを」と小銭をせがむこ
とはなく、子供たちも「今何時ですか?」と彼に聞くことなどな
かった。
 スクルージは、生まれて一度も誰かから「ここへはどう行けば
いいでしょうか?」と道を聞かれたことはなかった。
 盲目の人を補助している盲導犬もスクルージのことを知ってい
るらしく、彼がやって来るのが見えると、盲目の人を玄関の奥や
路地裏へ誘導したものだ。そして、盲導犬が喋るとしたら「目が
見えないのは不自由かもしれませんが、あの人のように悪い目を
持っているよりはましですよ。ご主人様」とでも言いたそうに尾
を振るのだった。
 だが、そんなことを気にするようなスクルージではない。それ
こそ彼の望むところだった。
 人情などは大きなお世話と突き放すように、人生の人ごみの中
を押し分けて進んで行くことが、老いてもなお元気なスクルージ
にとっては快感だった。

 そうした状況にあって、奇跡を目撃する日、クリスマスイブの
ことだ。
 スクルージは事務所のイスに座って忙しそうにしていた。
 霜枯れた、寒さが噛みつくような日だった。おまけに霧も多かっ
た。
 スクルージは、外の路地で、人々がフウフウと息を吐いたり、
胸に手を叩きつけたり、暖かくなるようにと思って敷石に足をば
たばた踏みつけたりしながら、あちらこちらに右往左往している
足音を耳にした。
 街の時計は方々でさっき三時の鐘を打ったばかりだったのに、
もうすっかり暗くなっていた。もっとも、一日中明るくはなかっ
たのだ。
 隣近所の事務所の窓からは、深く青ざめた空気の中に、手をか
ざしたくなるような、ロウソクの暖かい光がハタハタと揺れなが
ら燃えていた。
 霧はどんな隙間からも、鍵穴からも流れ込んで来た。そして、
この路地はごくごく狭い方だったのに、向う側の家並はただぼん
やり幻影の様に見えるぐらいに、外は霧が濃密だった。
 どんよりした雲が垂れ下がって来て、何から何まで覆い隠して
行くのを見ると、自然がつい近所に住んでいて、とほうもない大
きなかたまりの雲を吐き出しているんだと考える人がいるかもし
れない。

 スクルージの事務所内にあるドアは、その向こうの牢獄のよう
に陰気な小部屋で、沢山の手紙を写している書記のボブ(ボブは
ロバートの愛称)・クラチェットを見張るために開け放しになっ
ていた。
 スクルージのそばにある暖炉にはほんのわずかな火が燃えてい
た。それに比べ、ボブのそばにあるストーブの火は、もっともっ
と小さく、燃えカスの炭かと思えるくらいだった。しかし、ボブ
は、スクルージが石炭箱を始終、自分の部屋にしまって置いてい
たので、その石炭をいただくという勇気はなかった。
 もし、ボブがスコップをもって入って行けば、きっと御主人様
は「どうしても君(石炭)と僕とは別れなくちゃなるまいね」と
小言をされるのがおちだった。
 そのためボブは、首に白い毛糸のマフラーを巻きつけて、ロウ
ソクで暖まろうとした。
 ボブは想像力の強い人間ではなかったので、こんな骨折りを思
いつくぐらいしか、なすすべがなかった。

「メリークリスマスおめでとう、伯父さん!」と、ひときわ快活
な声が響いた。
 それはスクルージの妹の子で、りりしい青年に成長した甥の声
だった。彼は大急ぎで不意にスクルージのもとへやって来たので、
スクルージはこの声で始めて彼が来たことに気がついたぐらいだっ
た。

「何を、バカバカしい!」と、スクルージは言った。

 甥は霧と霜の中を駆け出して来たので体が暖まり、顔や手など
外から見える肌は真赤になっていた。
 スクルージの甥とは思えないぐらい、青年の顔は赤く美しく、
目は輝いて、ホウホウと白い息を吐いていた。

「クリスマスがバカバカしいですって、伯父さん!」と、スクルー
ジの甥は言った。
「まさかそうおっしゃってるんじゃないでしょうねえ?」

「そう言ったよ」と、スクルージは応えた。
「メリークリスマスおめでとうだって! ユダヤの血が流れてい
るお前が、めでたがる必要がどこにある? たいした金もないく
せに、めでたがる理由がどこにあるんだよ?」

 甥は世間的にはそうとう裕福なほうだが、スクルージと比べれ
ば、たいした金持ちには見えないらしい。

「おや、だったら」と、甥は快活に言葉を返した。
「キリスト教徒の社会で商売をさせてもらっている貴方が、陰気
臭くしていらっしゃる必要がどこにあるんです? たいそうなお
金をお持ちなのに、機嫌を悪くしていらっしゃる理由がどこにあ
るんですよ」

 スクルージはとっさに良い返事もできなかったので、また「何
を!」と言った。そして、その後から「バカバカしい」とつけた
した。

「伯父さん、そうプリプリしないで下さい」と、甥は言った。

「プリプリせずにいられるかい」と、スクルージは言い返した。
「こんなバカ者どもの世の中にいては。メリークリスマスおめで
とうだって! だがな、私はクリスマスそのものをバカバカしい
と言っているんじゃない。異教徒の祭りだ。勝手にやればいい。
私が言いたいのは、粗末なクリスマスに満足して、メリークリス
マスおめでとうがちゃんちゃらおかしいということだ! お前に
とっちゃクリスマスの時は一体何だ! 金もないのに出費をかさ
ねる時じゃないか。一つ余計に歳を取りながら、一つだって余計
に金持にはなれない時じゃないか。お前は商売の決算をして、そ
の中のどの口座を見ても丸一年の間、ずっと損ばかりしているこ
とを知る時じゃないか。そんなにクリスマスを祝いたいなら、一
年我慢して金を貯めて二年目に倍の金で祝えばいい。それでもた
りなきゃ三年、四年我慢すればいい。少し貯まればすぐに使う。
そんなことをしているからいつまでたっても貧乏から抜けられな
いんだよ。そのくせ、貧乏なのを金持ちのせいにし、わしらをね
たんで、隙あらば財産を奪おうとする。わしの思い通りにするこ
とが出来れば・・・」と、スクルージは憤然として言った。
「メリークリスマスおめでとうなんて言って回っているバカ者ど
もはどいつもこいつも、プディングの中へ一緒に煮込んで、心臓
に柊(ひいらぎ)の棒を突き通して、地面に埋めてやるんだがね。
是非そうしてやるとも!」

「伯父さん!言い過ぎだよ。私は伯父さんの財産なんて欲しいと
思いません」と、甥は反論しようとした。

「甥よ!」と、スクルージは厳格に言葉を続けた。
「お前はお前の流儀でクリスマスを祝えばいい。わしはわしの流
儀でこの日をすごさせてもらうよ」

「すごすですって!」と、甥は言葉を繰り返した。
「孤独になっていく一方じゃありませんか」

「ああ、それでいいさ。わしのことはほっといてもらいたいね」
と、スクルージは言った。
「クリスマスはすごくお前の役に立つだろうよ! これまでもす
ごくお前の役に立ったからねえ!」

「世の中には、私がそれから利益を得ようと思えば、得るチャン
スはあったでしょう。あえてそれをしなかったことがいくらもあ
りますよ。ユダヤの血が流れている私が、あえて言わせてもらい
ますが」と、甥は続けた。
「クリスマスもその一つですよ。だけど、私はいつもクリスマス
が来ると、その宗教的な名前や由来に対する異教徒の祭りとは離
れて、いや、クリスマスが意味することがどうだろうと、その宗
教的意味あいから切り離せないとしてもですよ。そもそも、ユダ
ヤ教の神もキリスト教の神もイスラム教の神も同一じゃありませ
んか。まあ、宗教から切り離せなくても、クリスマスの時期とい
うものはすばらしい時期だと思っているんですよ。誰もが親切に
なり、人を許す気持ちになり、慈悲の心があふれ、楽しい時期だ
と。男性も女性も一緒になって、閉じ切っていた心を自由に開い
て、自分達より年下の者も実際は一緒に墓場に旅行している道づ
れで、けっして他の旅路を目指して出かける別の人種ではないと
いうように考えます。一年という長い暦の中でも、私の知ってい
る唯一の時期だと思っているんですよ。ですから、ねえ伯父さん。
このクリスマスというものは私のポケットの中へ金貨や銀貨の切
れっぱし一つだって入れてくれたことがなくても、私をよくして
くれました。また、これから先もよくしてくれるものだと、私は
信じているんですよ。だから私は言うのです。ユダヤの神もクリ
スマスを祝福し給え! と」

 牢獄のような小部屋の中で、甥の話を聞いていた書記のボブ・
クラチェットは、無意識に拍手喝采をしていた。しかし、すぐに
我にかえって、気まずい空気になると思い、とっさに聞いていな
いフリをするため、ストーブの火を突っついて、最後に残ったあ
るかないかの火種を永久に掻き消してしまった。

「もう一度、拍手したらどうかね。君はその仕事さえ失って、ク
リスマスを祝うことになるだろうよ」と、スクルージはボブに向
かって言った。
「貴方様は、中々たいした雄弁家でいらっしゃるね。貴方様なら」
と、スクルージは甥の方へ振り向いて続けた。
「貴方様が政治家になり議会へお出にならないのは不思議だよ」

「そう八つ当たりしないで下さい、伯父さん。ぜひ来て見て下さ
い。私達の家で、皆と一緒に食事をしましょうよ」と、甥は言っ
た。

 スクルージは、甥に向かって「ユダヤの神に背くお前が地獄に
落ちたのを見たいものだ」とつぶやいた。実際に彼はそう言った。
彼はその言葉を始めから終わりまで、もらさずに言ってしまった。
そして、「(自分がお前の家へ行くよりは)先ずお前がそういう
怖ろしい目に遭っているのを見たいものだ」と言った。

「そんな。何故です?」と、スクルージの甥は寂しそうな顔で聞
いた。
「何故ですよ?」

「お前は、またなんでキリスト教徒の娘などと結婚なんぞしたの
だ?」と、スクルージは話題をかえた。

「彼女を愛したからです」と、甥は応えた。

「愛したからだと!」と、世の中におめでたいクリスマスよりも、
もっとバカバカしいものはこれ一つだと言わんばかりに、スクルー
ジはうなった。
「では、さようなら!」

「でも、伯父さん。貴方は結婚しない前だって一度も私の家に来
て下さったことはないじゃありませんか。何故今になってそれを
来て下さらない理由にするんですか?」と、甥は聞いた。

「さようなら」と、スクルージは言った。

「私は伯父さんに何もしてもらおうと思っていませんよ。彼女も
何も望んでいないのに、どうして二人は仲良く出来ないんですか?」
と、甥は聞いた。

「さようなら」と、スクルージは言った。

「伯父さんがそんなに頑固なのを見ると、私は心から悲しくなり
ますよ。私達はこれまでケンカをしたことは、少なくとも私が相
手になってしたことは一度だってありません。ですが、今度はク
リスマスをいい口実にして、仲直りをしてみようと思ったんです。
私は最後までクリスマス気分で陽気にやるつもりです。ですから、
メリークリスマスおめでとう、伯父さん!」と、甥はにこやかに
言った。

「さようなら」と、スクルージは言った。

「そして、新年おめでとう!」と、甥は言った。

「さようなら」と、スクルージは言った。

 スクルージの甥はこう言われても、一言も声を荒げるような言
葉は返さないでその部屋を出て行った。そして、彼は出入口のド
アの前で立ち止まって、小部屋にいるボブに「メリークリスマス
おめでとう! そして、新年おめでとう!」と、言って会釈した。
 ボブの体は冷えていたが、スクルージより暖かい心を持ってい
た。というのは、彼も微笑んで「メリークリスマスおめでとうご
ざいます! そして、新年おめでとうございます!」と、返事を
したからである。

「まだ一人いるわい」と、スクルージはボブの声を聞きつけてつ
ぶやいた。
「一週間に十五シリングもらって、女房と子供を養っている書記
の分際で、メリークリスマスおめでとうございますだなんて言っ
てやがる。わしは精神病院へでも退きこもりたいよ」